自分という歴史

古い家にあいた、小さな窓は
まるで目玉のよう。


人が「今」を思う時、
その瞬間に「今」は過去になります。
明日が今日になり、今日が昨日になる。
そうやっていつの間にか自分という歴史になる。

自分が何を望んでいるのか、自覚するのを恐れたまま
多くの人は「こんなはずではなかった」
と嘆くのかもしれません。

それでもまだ燻る炎があるのなら
自分で「明日」を探しに行くしかない。
今日は友達とそんな話をしていました。


古い家の大きな目玉は
「僕と違って君にはその足があるだろう。」
といいました。

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