先日近所で、どんど焼きがありました。
お正月のお飾りを焼いて無病息災を祝う火の祭。
この小正月の行事は、平安時代からあるのだとか。
昨日は東京都写真美術館にて、中山岩太展の講演会。
旦那さまがトークするということで
私も受付で整理券を受取り、客席で聴講しました。
なんだか私まできんちょーしてしまいました。
亡くなった写真家のフイルムをご遺族から預かり、
それをプリントするという仕事が、どれほどの重責なのか
私は彼の勉強ぶりと、その真剣さを毎日見ていたので
今回の展示会と講演会は身に沁みるものがありました。
そのプリントが、偽物ではなく、唯の模造品でもなく、
作家本人の代弁として成立するためには
「言葉にならない言語」が読めないと駄目だそうです。
喩えて言うなら、それは歌のようなものでしょうか。
人の脳には、常に音楽が流れているといいます。
それはきちんとしたメロディであるとは限らなくて
その人に特有の旋律であり、歌なのだそうです。
叫び、喜び、哀しみ、憤り、そして愛し続けたもの。
ある1人の人間が人生を終えた時、
その生き様もまた、ひとつの「歌」になるのでしょう。
その歌がフイルムから聴こえてこなければ、
亡くなった写真家の写真を印画することは
出来ないのだそうです。
全ての人が持つ、それぞれの歌。
それは命の焔とも言えます。
叫び、喜び、哀しみ、憤り、
そして、何を愛し続けたか。
私達ひとりひとりが人生を終える時、
それもまた、ひとつの「歌」になるのでしょう。
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